竹山道雄『ビルマの竪琴』(新潮文庫、1959)

書評

書名だけはかねてから知っていましたが、読む機会がありませんでした。児童文学書に分類しておくのではなく、もっと大衆向けの書と分類してもいいくらいの本です。

『アーロン収容所』では、イギリス人が日本人を含む東洋人に対して侮蔑、動物的扱いをすることが描かれていました。しかし、この『ビルマの竪琴』では、日本兵とイギリス兵がともに合唱したり、イギリス人が戦死した日本人のために「日本兵無名戦士の墓」を立て、そこに花輪を添えりしています。

水島からの手紙の最後の部分「もっと欲が少なくなるように努めなくてはならないのではないでしょうか。そうでなくては、ただ日本人ばかりでなく、人間全体が、この先もとうてい救われないのではないでしょうか?」この部分については、大東亜共栄圏を築こうとした当時の日本人と寡欲なビルマ人と対比して述べていることが想像できます。現代に当てはめれば、近隣諸国をどんどん巻き込んでソフトに一帯一路を築こうとする中国への警鐘にもなりうると考えました。戦争は、ある意味、欲のぶつかり合いです。

降伏後も三角山に居座って抗戦を続けようとする部隊の各隊員を水島が説得しようとする場面。彼らは、他の「大勢に引きずられている弱さということもある」が、「いったい、いまどういうことになっているのか事情がわからない。判断のしようがない。たとえ自分が分別のあることを主張したくても、はっきりとした根拠をたてにくい。それで、威勢のいい無謀な議論のほうが勝つ。」と表現し、冷静に分析しています。これは、情報や事実が少ない状況の中で、いかに合理的に行動するかの難しさを述べた表現なのだと思います。比較事象は異なりますが、対して現代。ポピュリズムの台頭、フェイクニュースの横行などで、人々はいとも簡単に大勢に引きずられる下地が揃っている。情報があり過ぎて本当の事実はどれかが分かりにくくなっています。こうした世の中でも、威勢のいい無謀な議論が勝ちやすい環境にはあると思います。

最後にビルマ人に対する著者の以下の感想は、言い当てていると思います。

ビルマ人は楽しげです。生きるのも、死ぬのも、いつもにこにことしています。この世のこともあの世のことも、面倒なことはいっさい仏さまにお任せして、寡欲に、淡白に、耕して、歌って、踊って、その日その日を過ごしています。ビルマは平和な国です。弱く貧しいけれども、ここにあるのは、花と、音楽と、あきらめと、日光と、仏さまと、微笑と…。

このビルマの国の人びと初めてたしかに怠惰であり、遊び好きで、なげやりでありますけれども、みな快活で謙譲で幸福です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました