加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫、2016)

書評

横浜の栄光学園の歴史クラブの生徒を対象に語った日本現代史の話しである。少し読みづらい箇所があったが、新たな知識の吸収もできた。著者は、菅元首相が日本学術会議の任命拒否の対象とした東大の教授である。本人はリベラルを志向しているつもりであるようだが、本文記述を見る限り、顕著にそのような傾向があるようには取られなかった。

福澤諭吉が1885年3月16日の時事新報の社説に脱亜論として中国と朝鮮のことに言及していたことは、覚えていなかった、というよりもじっくり確認することもなく知らなかった。福澤曰く、「(前略)不幸なるは、近隣に国あり、一を支那といい、一を朝鮮と云う。」。現代的に意訳すれば、「不幸なのは、日本の隣に中国と朝鮮という国家があることにある。」となる。100年以上前と今の状況はまったく変わっていないと分かる。1919年3月1日、日本統治下の朝鮮で3.1独立運動が起こったのは、米国のウィルソン大統領が1918年1月の年頭のアメリカ議会で「14か条」を発表し、その中に民族自決を主眼とする1条が影響したからと説明されている。これはまさに新たな収穫であった。

鳥谷部恭男『憲法とは何か』によると、戦争が起こる傾向にある状態とは、「ある国の国民が、ある相手国に対して、『あの国は我々の国に対して、我々の生存を脅かすことをしている』あるいは、『あの国は我々の国に対して、我々の過去の歴史を否定するようなことをしている』といった認識を強く抱くようになっていた」場合だという。これには納得する。

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